top of page

​田中貢太郎『ある神主の話』

出演者コメント

 

水の男役:にっかり青江

「みすてりあす、なところが似ているといわれたけれどどうなんだろう?」

 

勘作役:石切丸

「にっかりさんとの神剣についての議論が勘作役に繋がったそうだ。何が縁になるかわからないものだね」

 

水神様役:数珠丸恒次

「にっかりとは親戚のようなもので、その縁で配役されました。主には気に入ってもらえたようです」

 

旅人役:小夜左文字

「笠を被っているから配役されたよ……兄様たちがすでに出ていたけど、僕も出られるとは思ってなかったな……」

 

次男役:蜂須賀虎徹

「贋作との関係性を買われたそうだ。次の機会があれば、ぜひ真作の力で抜擢されたいね」

 

長男役:長曾祢虎徹

「蜂須賀との仲で選ばれたんだが……贋作なりに出来ていただろうか?」

 

三男役:浦島虎徹

「兄ちゃんたちの仲で選ばれたんだ! でも、俺は二人には仲良くしてほしいんだけどなぁ。そういう役はないのかな?」

神社2.jpg

始まりました、刀剣男士深掘りシリーズ!

第一弾は「刀剣男士は神である」です!

神様の側面にスポットライトを当てて、『ある神主の話』を翻案してみました。

 

 

いつもは役に合うように刀剣男士を選んでおりますが、今回は刀剣男士に合うように台本を書きました。

つまりは、当て書ですね。

新しい試みでしたが、審神者の方は楽しめましたか?

解釈は合っていたでしょうか?

 

 

まず、この作品、原作での主人公は勘作です。

老いた漁師のもとへ人外の青年が現れて、交流を深めていくうちに青年が人間になりたいと言いだした。それを戒めていたら……

といった感じです。

 

 

主人公を入れ替えた理由は、成長していくのが水の男の方であることが大きかったです。

というのも、刀剣男士は成長するものだからです。

刀剣男士は決まったレベルに到達すると、「極(きわめ)」という状態への進化が可能になります。

ラストシーンで水の男役のにっかり青江の服装が変わっていますが、あれが極のにっかり青江の姿です。

極になるには、過去に遡り、自分の根幹をなすにいたった人物や出来事に再会します。そこから今の主(審神者)の刀としての自覚を強めて、本丸に帰って来てくれるのです。

「道」を学んで人間に寄り添うようになった水の男の姿が、どことなく極になる彼らに重なって見えました。

 

 

補足する必要があるとすれば、兄弟喧嘩のくだりでしょう。

あのシーンはもともと夫婦喧嘩でした。

ですが、お借りしている立ち絵素材では恋愛関係に使えないので、兄弟喧嘩に変更しました。

そこで悩むのが誰を置くか、ということです。

刀剣男士たちは基本的に数百年を生きた付喪神なので、そうそう喧嘩に発展しないんですね。

(気に入らない、苦手にしている、くらいはあります)

そんな刀剣男士ですが、兄弟かつ仲が悪いのが、虎徹兄弟でした。

彼らを簡単に紹介しますと、

長男:長曾祢虎徹……贋作だが最も有名な虎徹の刀になってしまった。

次男:蜂須賀虎徹……真作だが現在行方不明。長曾祢に対して反発している。

三男:浦島虎徹……真作。兄たちには仲良くしてもらいたい。

こんな感じです。

でも、蜂須賀の長曾祢への反発って、贋作だからだけではないんですよね。

近藤勇の刀として名高い長曾祢を誇らしく思っていたのに、贋作で、がっかりしてしまったんです。

しかも、贋作なので作刀時期としても年下になります。

それが虎徹兄弟を歪ませている原因なわけです。

……というのを審神者は把握しているので、あのシーンに特別違和感はなかったかと思います。

勘作に止められた次男を三男だけが迎えに行っているのは、長男が行くとまた喧嘩になるからです。これも審神者には想像に難くないかと思います。

 

 

今回制作してみて、当て書は楽しいなぁと思いました。

刀剣男士が本来持っているキャラクター性を活かせた気がします。

次回はわりと役柄に合わせたキャスティングをしています。

MMD紙芝居なので制作が遅いですがお待ちいただければ嬉しいです。

bottom of page