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​泉鏡花『花間文字』

出演者コメント

韓昌黎役:鬼丸国綱
「粟田口の縁で乱藤四郎の叔父役として選抜された。それでいいだろう」

韓湘役:乱藤四郎
「よくないよ、もう! 主さんが『これはボクだ』ってピンと来たんだって! ふふ、がんばっちゃった! 鬼丸さんも熱演だったでしょ?」

憲宗役:小烏丸
「鬼丸を一喝できるのは我しかおらぬというので引き受けたぞ。ほほ、子らとの戯れは楽しいものよな」

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「桃の花びらを食べる美少年」という韓湘のキャラクターが刺さりすぎて、ぜひとも動画化したくなりました。
お話自体は、八仙子「韓湘子」の伝説をもとにしているのでしょう。


「韓昌黎」こと「韓愈」と「韓湘」が養父と養子の関係だったのは本当であり、「韓愈」が左遷されたのも事実です。

「韓愈」は中唐(766~835)に活躍し、白居易らと同時期です。
日本では奈良から平安時代ですね。

さて、そんな昔の人間である「韓愈」ですが、じつは明治の日本に多大なる影響を与えた人物なのだそうです。

明治になってからの日本では大規模な宗教弾圧がありました。
廃仏毀釈です。
政府が神道を推し進めていく中で廃仏思想が加熱したこと、江戸幕府で保護されてきた寺院への反発、寺社の財産狙いなど理由は多々あるようですが、特に、廃仏思想に影響したのが「韓愈」でした。

しかし、泉鏡花という作家を考えたとき、彼は確かに明治の人間ですが、廃仏思想の人には思われません。
この方面で考えるのは違う気がします。

それでは何が泉鏡花の琴線に触れたのか?

それは「韓愈」の文士としての一面ではないでしょうか。

中国文学史で「韓愈」といえば、古文復興運動ですよね。
仏教が入ってきたことにより、中国人はみずからの言語が持つ「四声」という特色を知りました。その音の響きをルールとして、華やかに飾った文章を作るのが流行しました。
これは漢詩にも受け継がれて、いつしか中国文学は「四声」と古い典拠からの引用で組み立てられていくものになっていきました。
これに異を唱えたのが「韓愈」ら古文復興派なのです。
古代のように内容を重視した文章に戻るべきだ、というわけです。

話が長く逸れましたが、泉鏡花が書いた『花間文字』という作品、これもまた擬古文であります。

明治は、あらゆるものが変わりゆく時代でした。
その激動の中で、擬古文の作品を書いている泉鏡花。
そこに「韓愈」の面影を想像してしまうのは私だけかもしれません。

漢文を書き下した日本語は格調高く、その典雅な音が私は好きです。
今となっては、古めかしくて取っつきにくいものかもしれないですが、こういう文章が現代日本語の礎になっています。
たとえば、こんな文章はどうでしょうか?
――、地鉄(じがね)がよく約(つ)み、地沸(じにえ)付き、地斑(じふ)映りが立つ。刃文は沸出来(にえでき)、広直刃調の小丁子乱れで、腰刃を焼く。目釘孔は1つ。――
「鬼丸国綱」の作風を表わしている文章の一部なんですが、この流れるような音の美しさと、詳しくは分からないまでもなんとなく想像させる表現の力を感じませんか?

話し言葉と書き言葉が一致して便利になりましたが、こういう昔の言葉も忘れ去ってしまうのはもったいない。

というわけで、『花間文字』を私なりに現代語訳しまして、公開することにしました。
https://privatter.net/p/7625699

泉鏡花が残してくれた美しい日本語に触れていただくキッカケになれれば、こんなに嬉しいことはありません。

元が伝説ですので、ストーリー性・メッセージ性を考えるのはナンセンスかもしれないですが、

あえて指摘するのなら、「思想が違う者どうしのかかわり方」でしょうか。

韓昌黎は「儒教」の徒であり、憲宗の「仏教」信仰に対して諫言したがために左遷されてしまいます。

​しかし、道中で再会した「道教」の仙人・韓湘は、子が親を思う儒教の孝の精神で韓昌黎をいたわりました。

儒教者・韓昌黎を排除した憲宗と、儒教の教えでもって接した韓湘は対比関係にあるといえるでしょう。

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