本作の面白いところとして、ゲシュタルト崩壊が描かれている点が挙げられますね。
ゲシュタルト崩壊をしても文字が意味を持ちつづける、それは精霊の仕業だとは神秘的です。
さて、私が本作にて特に注目したのは、「歴史」です。
「歴史」とは何ぞや?
「歴史とは粘土板に書かれたことだ」と老博士は答えます。
これ、正解なんですよね。
『歴史』の『史』という漢字は『ふひと』とも読みます。
『ふひと』は古代日本において、宮廷の記録係を指します。
つまり、歴史とは記録係によって記録されたものをいうわけですね。
『古事記』なんかもそうでした。暗記されているものを、わざわざ書き起こして作られた歴史書です。
歴史とは書かれなきゃいけないんですね。
でも、歴史は一つではなくて。
『日本書紀』なんかは、正史として採用したもののほかに、『一に曰く〜』と幾つもの歴史が記されています。
また、歴史は勝者が作るという言葉もあります。まさに、歴史問題として我々が直面しているものです。我が国は敗戦国であるからして、好き放題言われています。
『歴史の生き証人』という言葉もありますが、やはり、効力を持つのは文書なのでしょう。
未来のために、どれだけの事を書き残すか。
それも人間の営みなのかもしれません。
刀剣乱舞という作品では、刀剣に宿る物語が人の形を作って登場します。
だから、伝説上の刀も居るし、
焼けて失われた刀も居るし、
複数の刀が混じり合っている者も、
中には、手紙に書かれているたった一行を拠り所にしている者も居ます。
書くという行動が帯びる霊力、文字に宿る霊力、なかなか侮れないのではないでしょうか。
SNSが普及し、今や誰もが記録係です。
文字を、言葉を、良く使っていきたいものですね。
油断すれば、思わぬ形で、炎上・批判に晒され、顔の見えぬ誰かの文字の力に押し潰されてしまいますから……