top of page

​中島敦『文字禍』

出演者コメント

老博士役:南海太郎朝尊
「ずっとこの役に決めていたそうだ。文字を極め、取り憑かれ、殺される……実に面白い役だったよ」

若い歴史家役:肥前忠広
「歴史に記されたことで深い業を背負ったところが良いと配役された。が、稽古中、主が『しんどい』ばっか言ってた」

 

大王役:三日月宗近
「源氏がやれぬと言うので回ってきた。次は優しい役がいいなあ」

 

王の兄役:小狐丸
「膝丸がやれぬと泣くので受けました。しかし、真の歴史が分からぬ男の役とは、小狐に合っていたようにも思います」
 

圧死.png

本作の面白いところとして、ゲシュタルト崩壊が描かれている点が挙げられますね。
ゲシュタルト崩壊をしても文字が意味を持ちつづける、それは精霊の仕業だとは神秘的です。

 

さて、私が本作にて特に注目したのは、「歴史」です。 

 

「歴史」とは何ぞや?

 

「歴史とは粘土板に書かれたことだ」と老博士は答えます。

これ、正解なんですよね。

『歴史』の『史』という漢字は『ふひと』とも読みます。
『ふひと』は古代日本において、宮廷の記録係を指します。
つまり、歴史とは記録係によって記録されたものをいうわけですね。
『古事記』なんかもそうでした。暗記されているものを、わざわざ書き起こして作られた歴史書です。
歴史とは書かれなきゃいけないんですね。

 

でも、歴史は一つではなくて。
『日本書紀』なんかは、正史として採用したもののほかに、『一に曰く〜』と幾つもの歴史が記されています。

また、歴史は勝者が作るという言葉もあります。まさに、歴史問題として我々が直面しているものです。我が国は敗戦国であるからして、好き放題言われています。
『歴史の生き証人』という言葉もありますが、やはり、効力を持つのは文書なのでしょう。
未来のために、どれだけの事を書き残すか。
それも人間の営みなのかもしれません。

 

刀剣乱舞という作品では、刀剣に宿る物語が人の形を作って登場します。

だから、伝説上の刀も居るし、
焼けて失われた刀も居るし、
複数の刀が混じり合っている者も、
中には、手紙に書かれているたった一行を拠り所にしている者も居ます。

書くという行動が帯びる霊力、文字に宿る霊力、なかなか侮れないのではないでしょうか。

 

SNSが普及し、今や誰もが記録係です。
文字を、言葉を、良く使っていきたいものですね。
油断すれば、思わぬ形で、炎上・批判に晒され、顔の見えぬ誰かの文字の力に押し潰されてしまいますから……

bottom of page