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本作は難しい!
「記述」によるコミュニケーションを否定して孤独を謳歌している文章に見えますが、
本当はコミュニケーションの可能性を追い求めているようにも感じられます。
なぜなら、中原中也が本作を著している時点で
「記述」によるコミュニケーションのボールは投げられているからです。
私たちは本作を読むことで、ある程度、中也が感じた「好い気持」を想像できます。
しかし、それは、いかに中也の文章が素晴らしくても「可及的可能」、
できるだけでしかないのです。
中也が実際に味わった「好い気持」は中也のものでしかないわけです。
伝えきれないわけです。
そこに、コミュニケーションの「孤独の内包性」があります。
詩人であろうとしつづけた中也が、
きっと言葉に対して誰よりも敏感だったろう中也が、
言葉による伝達を儚んでいたのは、ちょっと切なさを覚えますね。
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