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​夏目漱石『夢十夜』より
「第一夜」

​出演者コメント

女役:山姥切長義
「死んだら百合になりそうな男士1位と聞いて心中複雑だったが、宗三が『台詞が無い』と嘆いていたので、まあ、それよりはいいかな、と」

 

自分役:南泉一文字
「化け物斬りを百年待ってくれそうと言われて、そんなわけねーよと思ったけど、『吾輩は猫である』やるよりはマシだって思った…にゃ」

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『夢十夜』という作品の解釈は様々ですが、私が最も納得したのは、
「日本の精神、日本の美が失われていくことへの危機感を表わした」というものです。
『夢十夜』は「第一夜」だけ読むと、まるで恋愛小説のようですが、全部を通して読むと、全然違うものだと分かります。
それぞれの夜には、武者や仏師、お百度をする女、生まれ変わり復讐をする男などなど、西洋的価値観あるいはキリスト教的価値観とは対立するものが登場します。
同時に、これらは、日本的であるとも言えましょう。
 
夏目漱石は、日本の近代化いわゆる「文明開化」を上っ面だと批判しています。
スーツやドレスを着たって、ダンスをしたって、英語を喋ったとしたって、本当に西洋人に変わったわけじゃない。
 
それを突き付けるのが、『夢十夜』。
 
夢の中で、女に出会う。
長い黒髪の、瓜実顔の、頬に血の通った、黒い瞳の女。
まさしく日本の美女そのもの。
そして、日本的な美そのものです。

彼女は問います。
「百年待てますか?」


ーー百年経っても、日本人の美は変わらないだろうか?と。

 

残念ながら、変わってしまいました。
かつて引き目鉤鼻と言われた女は、パッチリ二重に整形し、鼻を削ります。
胸は小さい方が良かったのに、今では大きい方が持て囃されます。
西洋的な美の方へ移ろってしまいました。

白百合と女の取り合わせは、どこか聖母マリアを連想させます。
日本的な美の擬人化であった女の悲しい変化なのでしょうか。

なら、日本的な美の擬人化である女の変わり果てた姿――白百合への接吻はなんなのでしょうか。

 

読者の胸を打つ、この温かいような感動はなんなのでしょう?

 

私たちが「美しい」と思うもの、案外、変わっていないのかもしれません。

千年経った今日、美術品として受け継がれている日本刀(かれら)を見ていると、そう思えてきます。

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